JUST SAY NO / marc falardeau
何か新しいことを始めるのは結構なパワーを使うもの。
失敗や摩擦を恐れるあまり”できない理由”を言い訳に使う人は少なくないと思いますが…これってあまり美しいことではないですよね。
今日はその辺りについて思ったことを書いておきます。
できない理由を探すな
普段から体力がなくて疲れやすい、もっと体力をつけたい。
そう思って、普段から運動をしている人に相談するとします。
体力アップの基本は有酸素運動ですから、ジョギングを勧められたりするはずです。
そこで「走るのは苦手だから」とか「今まで挑戦したけど上手くいかなかった」なんて”できない理由”を探したりするのはいかがなものかと。
それは”できない理由”ではなく、”やりたくない理由”を探しているに過ぎない、要するにそこまで本気ではないんですよね(もしくは単に怠惰なだけなのか)。
それだけでなく、せっかく相談に乗ってくれた人のメンツを潰す事態にもなりかねない。
本当にやる気があれば、詳しい人に効果的な運動方法を聞いたり、ネットで調べることはいくらでもできるわけでして。
その努力を惜しんで(言うほど大した努力でもないですが)、ラクして問題を解決しようなんてムシが良すぎると思いませんか?
まとめ
子どもであればともかく、いい大人が「できない」なんてことを軽々しく口にするのは美しくないんですね。
何も飛行機を操縦しろとか、水中に30分潜れとか言っているわけではなく、ほんの少し努力すればできることでも「できない」で簡単に片付けてしまう。
そういう人は「できない」ではなく「やりたくない」と言う方が良いんじゃないかと。
それなら意思表示ですから、他に違う方法も考えられるんですけどね。
少しでもやる気があるのなら”できない理由”ではなく、”できる方法”を探すようにしたいものですよね。
大人なんですから。
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