最近になってフィルムカメラに目覚めてしまいました。
デジタルカメラとケータイの普及で一億総カメラマンとも言われる時代に、あえて逆行しているようなことをしています。
それはなぜなのか?
今日はそんなことについて語ってみたいと思います。
フィルムカメラ歴など
僕が最初にカメラを持ったのは今から25年以上前の小学5年生のとき。
家族旅行で沖縄を訪れたときに、某進○ゼミの付録のトイカメラを持って行ったのでした。
110フィルムを使っていたのかな?今考えると贅沢なシロモノです。
当然デジカメもケータイも無い時代ですからね。
フィルムの残り枚数を気にしながら観光地を撮影をしていたものです。
横浜に帰って現像・プリントされた写真を見ると…半分くらいブレてました(笑)。
その後も中学の修学旅行や、大学時代に北海道まで列車で旅行したときなどに「写ルンです」なんかで撮ってましたね。
最後にフィルムカメラを使ったのは大学卒業旅行で行ったオーストラリア旅行。
祖父のカメラ(キヤノン オートボーイかな?)を借りて写真を撮ったものです。
写真=旅行という図式だったんですかね。
▼オーストラリアで撮った写真。意外とよく撮れてますね。
忘れかけていたドキドキ感
社会人になってデジカメと出会って、フィルムカメラには全く触れなくなりました。
デジタルなら撮ってすぐに確認できるし、プリントしなくてもPCなどで見ることができます。
フィルム代や現像代を気にする必要もないですから、くだらない写真をパチパチと撮っていました。
そんなこんなで10数年経ち、デジタル一眼やiPhoneで写真を趣味として撮るようになったのですが…何か物足りないんですね。
デジタルになって、撮ってすぐに確認できて、それはそれですごく便利なんだけど…何か忘れている。
それは多分、写真一枚にかける思いみたいなものなんじゃないかって思ってます。
デジカメだとメモリの容量が続く限り100枚でも200枚でも撮れますし、ブレたり納得いかないのはその場で削除できますが、フィルムだとそうはいかない。
撮ってもすぐに見れないので一枚への魂の熱量がちょっと違う。
ブレてないかな?露出は適正かな?
現像するまで分からない。
このドキドキ感と言うか、思いを忘れかけてたんじゃないかな。
まとめ
今日の記事は完全に個人的な思いです。
僕自信の経験と今感じていることを書き散らかしました。
前にも書いたかもしれませんが、僕はデジタル否定派ではありません。
むしろ日常的にiPhoneで写真を撮ってます。
ただ、日常的にiPhoneで撮ってる写真とフィルムカメラを使って撮っている写真は、シャッターを切るのに乗せてる熱量がちょっと違ってます。
まあランニングコストを気にしてるだけなのかもしれませんけど(笑)。
あとは写真を見返すのは圧倒的にフィルムプリントした写真が多いです。
デジカメなどで撮った写真をプリントしてもあまり見返さない。
これは何でしょうね?やっぱり思いとか空気感みたいなものなのでしょうか?
便利で手軽になった分、そういう思いが薄れてしまうのはちょっと寂しいな、そんなことを思っています。
あとはデジタルで撮った写真を削除するときに、その写真への思いはどこへ消えるのか…なんて哲学的なことを考えてみたり。
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