『自分の中に毒を持て』

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自分の中に毒を持て

人生がどうもパッとしない、何だか毎日モヤモヤする。
自分のやっていることは本当に正しいのだろうか?
もっと自由に自分のやりたいことをやるべきなんじゃないだろうか?

そんなお悩みを抱えている人はこの本を読んでみると良いですよ。

岡本太郎著『自分の中に毒を持て

自由に生きるための力強い言葉

岡本太郎といえば”太陽の塔”などで知られる不世出の芸術家。
その岡本太郎氏が人生の様々な局面について、力強い言葉で喝破してくれます。

個人的にグッと来たところをいくつか紹介しますね。

何をしたらいいのかわからない人へのメッセージ

何をすればよいのか、それがわからない、と言うかもしれない。それが、ごく一般的なのだ。誰もが何かしなきゃいけないと思っている。ところがその”何か”とは、いったい何なのか、よく考えてみると、てんでわからない。
(P.36)

「自由に生きたいなら、好きなことについて情報発信しろ」なんてよく言いますが、「自由に生きたいけどぶっちゃけ何をしたらいいかわからない」って人も結構多いんじゃないでしょうか。

私もそんなうちの一人だったんですけどね(笑)

それに対し、岡本太郎氏はこう言っています。

まず、どんなことでもいいからちょっとでも情熱を感じること、惹かれそうなことを無条件にやってみるしかない。情熱から生きがいがわき起こってくるんだ。情熱というものは”何を”なんて条件付きで出てくるもんじゃない、無条件なんだ。
なにかすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずにちっぽけなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐに行くのだ。失敗してもいいから。
(P.36)

好きなことをやる=何かすごいことをやらなきゃ…みたいな図式が成り立つように感じるかもしれませんが、そこはあんまり気にしなくてもいいんですね。
なので無理に肩書きをつけたりする必要もない。

まずは自分の興味あることを小さくやってみて、それが面白くて面白くて仕方なくなってきたら、それを世の中に広めるために情報発信を始めれば良いんじゃないかと。
まずは情熱ありき、ということですな。

教祖にも信者にもなるな

また人はよくぼくのことを「教祖」だという。行動に断言的なところがあるからだろう。しかしここでも、信者は一人もいない教祖だ。信者なんて不潔だ。また親分子分の人間関係のお互いごまかしあい、利用しあういやったらしさ。
人間がこの世に生まれ出たとき、あのたった一人ぼっちでとび出してきて、ケンランと輝く世界にぶつかったときの、あの孤独でありながら、みちみちた、……あれこそ子分のいないガキ大将、信者を持たない教祖の生きがいであり、誇りである。人間はみんなそうであるべきだと思う。
(P.100)

ネットやSNSの普及によって誰もが簡単に情報発信できるようになった現在、面白い人、発言力のある人のもとにはたくさんのフォロワーが集まります。

これ自体は別に問題ないんですが、これをどういうわけか勘違いして”教祖”になろうとしている人がチラチラとネットの世界で散見されるんですね。

俺がルールだ、俺のルールに従わない奴はブロックしてやる…みたいなことを公言したりして。
いやー、正直キモチワルイですね。
“教祖”様も、それに従ってご機嫌取りに(いいねボタンを押すことに)忙しい”信者”も。

ネットという本来平等な世界の中で、いつの間にか親分子分の上下関係ができてしまっている。
なんだかヒジョーに不健全な感じがします。

もちろん最低限のマナーは必要ですが、ネットの世界くらいもっと自由に生きてもいいんじゃない?なんてことを思うわけなんですよ。

信者を増やすこと(あるいは教祖のご機嫌取り)に躍起になってないで、本来の自分がやるべきこと(=情熱を傾けられること)を粛々とこなす。
これだけで良いんじゃないですかね?

まとめ

個人的にグッと来たところを2つ挙げましたが、どこを読んでもガツンとくるメッセージに満ちた本でした。

自分のやっていることに自信が持てなくなったときに読み返してみると良さそうな一冊ですな。

ご興味あればどうぞ。

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